沿革・病院の生い立ち

病院の概要


沿革
昭和21年
10月
八鹿町隔離病舎の一部を転用、日本医療団八鹿病院として開設
昭和24年
8月
日本医療団の解散に伴い、八鹿町国民健康保険直営の公立八鹿病院となる (昭和24年12月26日許可)
昭和26年
7月
八鹿町外17ケ町村養美伝染病院組合が組織される。
昭和31年
4月
公立八鹿病院附属村岡診療所開設
昭和32年
4月
八鹿町・養父町・大屋町・関宮町・村岡町・和田山町の6か町により国民健康保険八鹿病院組合を組織し、病院経営を八鹿町より移管する。
八鹿町立国民健康保険小佐診療所を公立八鹿病院附属小佐診療所として開設。
8月
国民健康保険八鹿病院組合を公立八鹿病院組合に名称変更
昭和34年
3月
和田山町 組合脱退
昭和37年
10月
公立八鹿病院附属村岡診療所を公立八鹿病院村岡分院として開設
昭和38年
4月
公立八鹿病院附属准看護婦養成所を開校
昭和40年
3月
公立八鹿病院小佐診療所を廃止
4月
地方公営企業法財務規定等適用
昭和42年
10月
公立八鹿病院村岡分院を公立八鹿病院組合立村岡病院に名称変更
昭和44年
7月
養美伝染病院組合を解散し、経営を公立八鹿病院組合に移管される。
昭和52年
6月
医事業務電算システム導入
昭和53年
12月
CT室新設(全身用CTスキャン導入)
昭和54年
4月
子宮癌検診開始(地域住民対象)
昭和55年
9月
病棟増築(一般病棟309床・結核病棟24床・伝染病棟17床)合計350床となる。
コバルト室・人工腎臓・新生児センター・未熟児センターを新設
コバルト治療開始・人工透析(14床)開始
昭和56年
4月
病棟看護婦による訪問看護開始
大腸癌・乳がん検診開始(地域住民対象)
昭和59年
2月
兵庫県医療計画により伝染病棟廃止
昭和60年
3月
管理棟及び看護婦宿舎新築
4月
総合病院へ承認される。
昭和61年
4月
社会医療相談室開設
9月
検査科において「検査結果迅速報告システム・30分体制」の開始
11月
第1回 優良自治体立病院として、「自治大臣賞」を受賞
昭和63年
4月
児童福祉施設(助産施設)の設置
平成元年
10月
公立八鹿病院40周年記念式典開催・40周年記念誌誌発刊
平成2年
2月
透析室(35床)増改築
3月
公立八鹿病院誌創刊号発刊
4月
公立八鹿病院組合に美方郡美方町が加入(構成町6町)
平成3年
3月
MRI室増改築し、MRI導入
平成4年
4月
公立八鹿病院看護専門学校開設
11月
公立八鹿病院老人保健施設開設
12月
ドック室(12室)・病歴室新築
平成5年
2月
南但訪問看護センター開設し、業務開始
3月
リニアック導入
4月
看護専門学校学生宿舎新築
平成6年
2月
オーダリングシステム導入
4月
へき地中核病院に指定される・健康管理センター開設
平成8年
7月
7病棟増築(50床) (一般病棟359床・結核病棟24床 計383床)
透析室増築・八鹿町地域福祉センター開設
10月
西南但馬医療圏域における災害拠点病院に指定
12月
心臓血管撮影室・脳血管撮影室増築
平成10年
3月
ヘリカルCT導入
8月
朝来訪問看護ステーションを朝来町に開設し、業務開始
10月
栄養関係功労者表彰(集団給食施設)厚生大臣表彰
11月
健康保健優良事業所表彰(社会保険庁官表彰)
平成11年
4月
第二種感染症指定医療機関の指定
  (一般病棟359床・結核病棟20床・感染4床 計383床)
9月
救急医療功労者厚生大臣表彰を受賞
平成13年
4月
居宅介護支援事業所開設
8月
回復期リハビリテーション病棟(50床)を開設
平成14年
5月
新病院建設入札会
6月
新病院建設工事開始
平成15年
10月
臨床研修病院指定
平成16年
4月
病院機能評価認定
養父市誕生により1市2町の構成となる
11月
八鹿病院現地新築整備事業第1期工事完成
  (一般358床、療養55床、結核7床)合計420床となる
平成17年
4月
香美町誕生により1市1町の構成となる
平成18年
10月
八鹿病院現地新築整備事業第2期工事完成(外来棟、中央診療部門)
平成 19年
1月
電子カルテシステム導入
9月
八鹿病院現地新築整備事業グランドオープン
平成22年
5月
病院機能評価リハビリテーション付加機能認定
平成23年
4月
指定障害福祉サービス事業者(療養介護)指定
平成23年
12月
兵庫県「がん診療連携拠点病院に準ずる病院」指定
平成24年
11月
地域医療支援病院承認
平成25年
6月
兵庫DMAT指定病院
平成26年
4月
DPC対象病院指定
 
5月
南但訪問看護センター日高サテライト開設
 
11月
南但訪問看護センター関宮サテライト開設
平成27年
1月
地域包括ケア病棟(50床)を開設
 
4月
朝来訪問看護ステーションを南但訪問看護センター朝来サテライトに変更
平成30年
10月
許可病床数変更(一般338床・療養35床・結核7床 計380床)
令和2年 10月 発熱等診療・検査医療機関指定
  11月 新型コロナウイルス感染症協力医療機関指定
  11月 病棟移転事業(療養病棟 10病棟から9病棟へ移転)
  12月 病棟移転事業(回復期リハビリテーション病棟 2病棟から10病棟へ移転)
令和3年 1月 電子カルテシステム更新
  3月 新型コロナウイルスワクチン「個別接種」開始
令和4年 4月 新型コロナウイルス感染症重点医療機関指定

病院の生い立ち

公立八鹿病院の前身は、八鹿町の伝染病隔離病舎の一部を転用し、昭和21年10月に開設された日本医療団八鹿病院であったが、昭和24年8月、日本医療団の解散に伴い、八鹿町国民健康保険直営の公立八鹿病院となる。

昭和32年4月、八鹿町・養父町・大屋町・関宮町・村岡町・和田山町の6町により、国民健康保険八鹿病院組合を組織し、病院経営を八鹿町から移管し病院整備を図る。同年8月、組合の名称を現在の公立八鹿病院組合に変更。昭和34年3月、和田山町が病院組合を脱退し5町による経営となる。

昭和46年度から3か年計画により、病棟及び外来診療棟、手術・中材室等の増改築事業をおこなったが、それ以降も患者数の増加が著しく、昭和51年度に病院整備計画を策定、同整備計画により昭和52年度を初年度とし、栄養棟の新築、中央検査室の拡張整備、病棟増築を順次施行、昭和59年度に管理棟の新築及び駐車場の拡張整備を行い、完了する。

その後も診療棟等の増改築を行い、平成8年7月には東館(病棟50床、地域福祉センター、透 析室)が完成し、病床数383床となる。

この間、村岡病院の移転新築事業計画を機に平成2年4月から美方町が病院組合に加入。市町村合併により平成16年には養父市、平成17年には香美町が誕生し、1市1町による病院組合組織となった。

平成4年4月には、看護専門学校を開校、同年11月には老人保健施設、平成5年2月南但訪問看護センター、平成10年8月には朝来訪問看護ステーション、平成13年4月には居宅介護支援事 業所をそれぞれ開設し、病院施設だけでなく教育及び介護・福祉施設の拡充も進めた。

病院施設の老朽化により平成14年6月に公立八鹿病院現地新築整備事業に着手、平成19年9月に現在の施設がグランドオープンし、病床数420床となる。平成26年5月に南但訪問看護センター日高サテライトを、その後関宮サテライトを開設、朝来訪問看護ステーションを朝来サテライトに変更し広範囲にわたる地域の在宅療養に対応している。

平成27年1月には地域包括ケア病棟50床が認可。平成30年10月には一般・療養病床を各20床ずつ減床し、病床数380床とした。その後、令和2年11月には病棟移転事業として回復期リハビリ テーション病棟と療養病棟をそれぞれ移転し、病棟環境の改善に努めた。

また、新型コロナウイルス感染症の発生とともに、発熱等診療・検査医療機関、新型コロナウイルス感染症協力医療機関の指定を受けた。令和4年度にはさらに医療体制の充実を図ること で新型コロナウイルス感染症重点医療機関に指定され感染症患者の対応を行っており、保健・ 医療・福祉を包括する西南但馬地域における地域中核病院としての役割を担うよう努めている。


 

 

 

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