ひとりごと5)AI(エーアイ)

麻酔科部長(副院長)のひとりごと

2022年4月11日更新
 

最近よく耳にする言葉の一つにAIというのがあります。もちろん英語の略語でartificial intelligenceの頭文字を取ったもので、直訳すれば人工知能となります。

人工知能と聞けばなんとなく理解できたような気になりますが、じゃ具体的にどんなものかを例えば小学生にわかるように説明してみてください、と言われたらどうでしょうか。生まれながらの機械音痴の私、パソコンやスマホの扱いに四苦八苦していますのでうまく言えるか怪しいものです。



人工知能=人間が持つ知的能力を機械で代わりにおこなう技術

人間が他の哺乳類と比べて一番優れた点をあげるとそれは知的能力の高さでしょう。具体的に言えば言葉、計算能力、創造力、推察力などで、簡単に言ってしまえば考える力が他の哺乳類より優れていると言えます。走ったり、泳いだりする運動能は人間より優れた動物はたくさんいますし、視力や嗅覚等の感覚でも人間は一番ではありません。人工知能とは、人間が持つ知的能力を機械で代わりにやってしまおうという技術と私なりに理解しています。ちょっと大雑把かもしれませんが、正確で厳密な定義を小学生にわかるようにというのはなかなか難しいです。ちょっとはいい加減なくらいが、むしろわかりやすいかもしれません。

人間が知的能力を使うためには、目や耳からさまざまな情報を得ることが必要です。同様に人工知能が存在しても、なんの情報もなければ動きませんので事前に何らかの情報や知識を用意する必要があります。その準備するものをひっくるめて、データと呼んでいいと思います。

AIというと幾分重々しい響きですが、私たちが最初に親しくなったAIといえば計算機ではないでしょうか。最初はシンプルな四則計算から始まって、累乗や平方根などどんどん複雑な計算ができるようになり、小学校の頃に一生懸命に計算ドリルで磨いた腕は何だったのか、と思えるくらい、アッという間に計算力では人間はかなわなくなってしまいました。それからまだ50年くらいしか経っていませんが、AIの進歩は目覚ましいものがあります。

子供のころに未来は人より優れた知能を持つロボットが人間を支配する世の中になるというSF(漫画)にちょっとビビっていたのですが、それが冗談では済まないくらいの世の中になったように感じます。



AI×将棋の場合

 AIは様々な分野で利用され、計算能力同様に人間の能力を確実に凌駕しています。私の趣味の一つである将棋の業界は、その影響を著しく受けたところと言えます。将棋は日本の文化ともいえると思いますが、世間的にはゲームという方がいいかもしれません。ゲームですので人間同士が対戦して雌雄を決するわけですが、AIの代名詞であるコンピューターと人間が対戦したらどうなるかは、誰もが興味を持つところです。

最初のころAIは弱くて、私でも勝てたのですが、いつしか全く歯が立たなくなったのは今から15年くらい前だったような。それからはコテンパンに負けるとわかっているので対戦は避けています。そのAIと将棋のトッププロが対戦する企画もありましたが、これは数年前になくなりました。トッププロと言えども、人では勝負にならなくなってしまったためです。

そのAIですが、かなり前から将棋のプロの間では研究手段として使われていましたし、こういう機械類は若い人がより親しみやすく、上手に使いこなすものです。そのAIの申し子と言っていいのが、二十歳前にして将棋界のトッププロとなった藤井聡太さんです。

彼の将棋は見ていて面白いというかびっくりします。今までは常識と思われてきたことが次々と覆っていきます。これは私にとってボケ防止にとてもありがたいことです。もちろん、AIはだれでも使えるものですが、先に述べたようにデータを入力しないと十分に働きませんし、入力するデータの質が結果に影響します。さらにAIが出す結果を理解できないと実戦に役立てることもできません。おそらく彼が将棋の天才であるがゆえに、AIの能力を最大限に引き出せるのではないかと思えます。

 将棋界には10年前後の周期で天才と呼ばれる若者が登場しますが、AIの進化で天才の登場が加速するかもしれません。私が生きている間に藤井聡太さんと棋界のトップを争う若者が登場してくれれば私の認知症の発症も遅れるのではないかと密かな期待を持っています。



AIは、どこまで医療のなかで活用されていくのか

医療の世界でもAIは活用されています。若い先生というより医学生にとって、将来AIにとって代わられてしまうのは医療のどの分野かは関心事の一つだと思いますし、誰もその分野に行ってAIと頭比べはやりたくないはずです。患者さんの訴えを正確に入力し、必要な検査データを入れれば、間違いなく人間よりAIが正確な診断を下してくれると思います。

そのうちAIを搭載したロボットが八鹿病院の総合診療科の受付に陣取り、患者さんの訴えを聞き、
”どこどこへ行って血液検査とレントゲン検査を受けて戻ってきてください。終わったらここに戻ってきてください。診断を下します。”
と言うような光景も現実味が出てきました。

医師不足が常に問題となっている過疎地域の病院にとってそれはありがたいことですが、ヒトとのコミュニケーションがなくなるのは寂しいと感じられる方も少なくないのではと思います。”お情け“、”お慈悲“とか“祝着至極”など、時代劇ではルーチンで登場するセリフですが、これをAIが理解できるようになることがあるでしょうか。当然、今どこかで研究されているはずです。いつかは現実になるかもしれません。



感情を理解できるAIを搭載したロボットの登場はいつしか人とロボットとのコミュニケーションが人同士のコミュニケーションと遜色がなくなってしまうかもしれません。そうなると、ロボットと人が漫才をすることも出来そうです。ロボットなら“ボケ”でも“突っ込み”でも、どちらもうまくこなしてくれるでしょうから意外に面白いコンビがM-1グランプリを制することもあるかも。でも、そうなるといよいよロボットの人間支配が起こりそうです。

ロボットと人間の漫才まではみてみたいですが、その後は早々に六文銭を払って三途の川を渡りたいものです。


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